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シャビーボーイズ
シャビーボーイズ解散。そのあまりにも突然すぎる発表に言葉を失った。2005年に名古屋で結成された彼らは、幾度のメンバーチェンジを繰り返しながらも常に前だけを見てきたバンドだ。2012年に現メンバーが揃い、2013年には2nd Mini Album「朝」をリリース、バンド史上最も長いツアーを経験。9月22日に開催されたツアーファイナルでは大きく成長した彼らの姿を見ることが出来た。全てが順風満帆にしか見えなかった。そして2013年11月16日、突然の解散発表。まさに青天の霹靂。様々な憶測が飛び交う中、彼らの口から解散の理由が語られることはなく、特別な解散ライブも行わないという。解散が発表されるや否や、すぐにメンバーにコンタクトを取りすぐに会いに行った。何度も話した。そして杉本惠祐が重い口を開いてくれた。そこにはどんなバンドでも一度はぶつかる壁があった。シャビーボーイズを続けることは不可能だったのか。解散するしかなかったのか。杉本が9月のワンマンのステージで「一生シャビーボーイズです」と言った言葉が頭の中でぐるぐる回る。だがこれが現実だ。シャビーボーイズはその活動に終止符をうつ。物凄くリアルだ。シャビーボーイズというバンドの歴史について、解散について、これからについて、解散発表後、初めて杉本がありのままを語ってくれた。ショッキングな言葉も出てくる。だがしっかり前を向いていることも伝わる。メンバーそれぞれが次の人生に向けて歩き出している。シャビーボーイズの杉本惠祐として最後のメッセージを受け取って欲しい。

2005年6月9日バンドを組んだ。高校2年。その時はまだシャビーボーイズという名前すらなかった。2年C組の教室の前。日照権の問題で天井が斜めになっている物凄く長い廊下。そこから少しずつ動き出した。当時のメンバーは6人。
ピンボーカル私。
ギター1(今もなお唯一のオリジナルメンバー高津)
ギター2(1年の時から彼女がいて美男美女のカップルで有名だった。帰りの地下鉄で仲睦まじく帰っているところを歯軋りしながら見ていた私。)
ベース(高津が「ベースは良い奴知ってる」と言って連れてきた素人。卒業間近に体にペンキで文字を書き保健室で悲鳴を上げながらたわしで擦られるところを見たときは笑ったし「こいつ良い奴だ」と思った。)
キーボード(バンドの発起人。1年の時にクラスが一緒で仲が良かったが、なぜかサッカー部の私をボーカルで誘ってくれた。)
ドラム(2年の時の担任の先生。数学教師。「シャビーボーイズ程ドラマチックなバンドは大槻ケンヂの本の中でしか知らない」と言われる由縁)

結成の理由は文化祭に出たかったから。それぞれがそれぞれの部活をやっていたが文化祭の有志発表という場では軽音部でなくてもバンド演奏ができた。
初めてスタジオで音を出したのはTHE BLUE HARTSの「TRAIN TRAIN」だった。バンドで、アンプで音を出す、大きな声を出す。という事がどういう事か分かっていなかったが、分かっていなかったからこその高揚感があった。楽しかった。
初めてライブをやったのは2006年9月15日。学校の体育館で友達がたくさん見に来てくれて、人の波が物凄いことになっていた。先は暗闇で全ては見えなかったけど言いようのないエネルギーが充満していた。あの景色は忘れられない。いつか越えたいと思っている。スタジオで音を出したときよりもさらに楽しかった。
THE BLUE HARTS「リンダリンダ」
Green Day「American Idiot」
シャビーボーイズ「Never」
GOING STEADY「BABY BABY」
まさに高校生っていうような曲ばかりやった。若いねーなんて言いたくもなるけど実際若かったからしょうがない。この4曲が僕らにライブを教えてくれた。
シャビーボーイズという名前はこの時にはもうあった。文化祭に出られることが決まってバンド名をどうするか話し合っていたが「札幌カニ本家」「イモライダー」等の候補が上がるもしっくり来ず、後日受験勉強で使っていたターゲット1900という単語帳に「SHABBY…みすぼらしい、卑しい、ボロボロの」と見つけて、着飾ってないしかっこつけてない男の子たちってことで良いのではないかと思い提案しあっさり承認される。シャビーボーイズの誕生。
たった一度のライブで終わりと思っていたが(大学で北海道か福岡に行き、そこで軽音部にでも入ろうとなんとなく考えていた)近くの図書館で高津と受験勉強しているとその休憩中に「シャビーボーイズ続けようよ」と言われた。今考えるとこれはちょっとした人生の岐路だった。断る理由もはっきりと持っていなかったので承諾。秋を過ぎた頃に進路変更し担任を驚かせた。
無事に高校を卒業して大学に入りシャビーボーイズを続けることとなった。バンドの発起人であるキーボードは京都の大学に行ったのでしばらくして正規メンバーからサポートとなった。
2007年には色々なライブハウスに出たりイベントに出たりして酸いも甘いも苦いも旨いも不味いも色々味わった。
2008年にはその1年間で「準急 弥富」「パンチライダー」「君への謳」「your songs」の4枚の会場盤を出した。今はもう手に入らない。なんなら僕も持っていない。以前名古屋のライブハウスに行ったときに「段ボール内のCD全品500円!」と書いてあったそこに「準急 弥富」が置いてあった。元値500円のものが袋がついてない状態で売られていたので少し高かった。ちなみにそれは今のベースりっちゃんが買っていった。(りっちゃんありがとう)
話を戻す。2008年6月8日には初めてのワンマンライブを行った。今でもその日のセットリストを保管してくれているライブハウスのオーナーには感謝。
順調そうに進んでいったように見えた僕らも2009年大学3年になる年に大きく悩んだ。周りが就職活動していく中で自分たちの将来を悩んだ。ライブをしていてライブハウスの人から「どうなりたいの?」と聞かれることがあったが良く分からなかった僕はなんとなく答えていた。「バンドが楽しいからやっているのにどうにかなるってどういうことだろう」と思っていた。2009年の6月に2度目のワンマンライブが決まっていてその日に流通盤の音源を出そうという話があった。流通盤を出すためのミーティングでレーベルの人から「君は曲を作っているけど、バンドで他のメンバーを食わせて行くっていう気持ちはある?メンバーが結婚したらその奥さん、子どもの分まで稼ぐつもりで曲をかける?売れなくて30過ぎて新聞配達でもいい?」と聞かれた。当時の僕には訳が分からなった。でも今考えると、何の決意もなしにただ音源を出すよりしっかりと考えるきっかけを貰ったのでとても感謝している。結局その質問に何も答えることが出来ず流通盤を出す話は流れて「Are you ready?」と名付けたワンマンライブだけが終わった。準備出来ていなかったのは自分たちだった。
しかし物凄く幸いなことにその時のワンマンライブを別のレーベルの人が見てくれていた。その人はたまたま僕らのMyspaceを聞いて気に入ってくれてわざわざ東京からライブを見に来てくれた。僕らといえばひどく落ち込んでバンドって何が楽しいのか分からなくなっていたし、バンドを続けるのか辞めるのか、同じことばかり考えていた。そんな僕らの話を親身になって聞いてくれて悩みを少しずつ溶かしてくれた。この人がいなかったら今のシャビーボーイズは確実になかったと思う。
長い話し合いの結果2010年、大学3年の冬にレコーディングをして、7月28日「こんにちは未来」というミニアルバムを出した。当初「シャチホコゴールド」という名前で決定していたが寸前のところで変更になった。バンド名しかりCDタイトルしかり名前を付けるのが苦手なようだ。このミニアルバムを出して東名阪ツアーを回ってそれが終わった頃にドラムが抜けることが決まった。この頃にはもう卒業後もバンドを続けることを決めていてドラムだけが社会人だったので続けるかどうかの決断を迫っていた。最終的には「選ぶことが出来ないことが答えだと思う」という理由でバンドを抜けた。そして少しのサポート期間を経て今のドラムの本田君が入ってくれた。これでメンバー全員腹を括ってやっていくという気持ちになって大学を卒業するタイミングの2011年3月に「We are ready!」というタイトルで3度目のワンマンライブを行った。
大学を卒業してやれることは全部やろうと決めて活動を始めた。1年後に立っていたい場所を見据えて夏には3カ月連続でスリーマンをやることに決めた。そのスリーマンの1発目をやる6月にギターが抜けることが決まった。8月にギターが抜けてここからもう一度バンドを作りなおそうと思っていた10月にベースが抜けることが決まった。結局2011年12月9日にベースが抜けるライブを行って一旦活動休止することになってしまった。「We are ready!」とは何だったのか。
2012年。少しの休憩を貰った後にベースを探しながらも、なかなかグッとくる人が見つからなくてそうこうしている間にベースレスの3人でライブを行うようになっていった。どれだけ全力でやっても「シャビーボーイズってこんなもんじゃないのにな」という不完全燃焼感があった。そしてようやく10月、りっちゃんに出会いシャビーボーイズは4人組ロックバンドに戻ることが出来た。(ボーイズなのにガールがいる、という矛盾を抱えて。)
2013年。2、3月にこれが新しくシャビーボーイズです!というツアーに出た。メンバーが固まったことによりずっと出来なかったレコーディングを行い、8月1日にはレコ発ワンマンライブを行った。そこから今までで一番長いツアーに出て、ツアーファイナルを9月22日に行った。
そして2013年11月16日に解散を発表した。シャビーボーイズは2013年12月31日をもって解散する。
本田君はもうドラムに気持ちが向かないと言っていたし、りっちゃんはやっぱり私就職します、働くことにも興味がありますと言った。高津はバンドで食う事が理想ではないしそれに向かって努力できないと言っていた。覚えている範囲で書いているからもしかしたら誤解があるかもしれないが印象に残っているメンバーの言葉はこれだった。僕はと言えば音楽で飯を食いたかった。4人それぞれの気持ちをぶつけ合ったときにシャビーボーイズとして活動続けて行くことが出来なかった。

シャビーボーイズとはこういうバンドでした。1度でもライブを見てくれた人にはそれで十分伝えられたと思うけど文字にするとこんな感じ。某ネット掲示板で「泥臭く頑張ってた印象があるけど何の特徴もなかったから厳しいよな」と解散について書かれていたのをふと目にしたけど、解散の経緯については上記が全てです。何の特徴もないってのは次のバンドに生かしますね。
僕は新しくバンド組みます。是非誰かやりましょう。他のメンバーが新しく始めるか分からないけど、音楽を嫌いになったわけではないのでまたライブハウスで会えると思います。いやここは断言します、必ず会えます。

解散を発表してからありがたいことに沢山の人から声をかけてもらいました。そしてまさかONE BY ONE RECORDSから解散ライブの音源が出ます。そしてなんと2YOU MAGAZINEの表紙を飾ってしまいます。何かを残せたバンドでも地元名古屋で大人気!なバンドでもないですが創刊号から全て持っている2YOU MAGAZINEの表紙、地元名古屋の大好きなレーベルONE BY ONEからのリリース、どちらもバンドを始めた頃には考えられないような出来事です。本当にありがとうございます。
またライブハウスで会いましょう!!!今までどうもありがとございました!

シャビーボーイズ 杉本惠祐

 

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photo by 青木カズロー


シャビーボーイズ:
杉本惠祐(Vo)、高津直視(Gt/Cho)、本田拓人(Dr)、伊藤理絵(Ba/Cho)


【HPアドレス】
http://shabbyboys.net/

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