「写殺」の二文字を背負い、氣志團万博、京都大作戦オフィシャルカメラマンとして、Crossfaith専属カメラマンとして、また最近ではONE OK ROCKのツアーに帯同するなどカメラマンとしての活動の幅を広げながらその強烈なインパクトで「観た者を殺す」写真を撮り続けるライブカメラマン青木カズロー。ライブハウスでモッシュしながら撮る姿はまるで鬼人。カメラを構え狙い撃つ姿はまるでスナイパー。そんな彼の写真は、構図も色合いも、切り取る瞬間も、青木カズローというカメラマンの個性が強く主張されるものばかり。今回2YOUでは、この数年でライブカメラマンとして全国に名を知らしめてきた青木カズローを紐解くインタビューを決行。真っ直ぐな言葉も辛辣な言葉も全て彼がバンドを愛し写真を愛するから出る本心なのだろう。「写殺」を背負うのは伊達じゃない。
Q.カズロー君が最初にカメラを手にしたきっかけは何だったのですか?
青木:僕は元々絵を描いたりデザインすることが好きだったんですけど、如何せん努力してこなかったから何もやれなくて。でも表現欲求はあったんですよね。それでカメラを手にしたんです。写真って複写芸術だから今在るものを撮ることで自分の作品にすることが簡単なんじゃないかなって(笑)。まあ俺でもやれるんじゃないかなって思ったのがきっかけです。若気の至りですね(笑)。
Q.最初はどんな写真を撮っていたのですか?
青木:風景や植物を撮ってましたね。
Q.ライブ写真を撮るようになったのは?
青木:写真を撮りだして1年も経たない頃ですね。元々音楽が鳴っている現場には行ってたのでそこにカメラを持っていくようになったんですよ。僕がいたパンクやハードコアのシーンにはファンが写真を撮ったり文章を書いてファンジンを作る文化があって。現場で起きていることを現場にいる人間が記録する文化が当たり前のようにあったんですよね。そういう感覚で好きなバンドや仲間のバンドを、チケット買ってライブに行き撮り始めたのがライブ写真を撮り始めたきっかけです。その頃はライブカメラマンなんて言葉すら知らなかったですけど。
Q.ライブカメラマンという意識が芽生えたのは?
青木:ライブを撮るようになって3年後くらいかな。それまでは自分の撮りたい写真のイメージにどれだけ近い写真を撮れるかばかり意識していて他に同じような奴がいるって感覚がなかったです。
Q.当時のカズロー君の写真は光の使い方と動感が印象的でした。
青木:あれね(笑)。同じ動感でもブレが作り出す動感は好きじゃなかったんですよ。被写体をちゃんと止めて撮れるってのが一眼レフが他のカメラより優れている部分の一つだと思うんですけど、当時一眼レフを買ったのでブレの味のある写真のかっこよさよりカチッと止まっている写真で動感のあるものを求めていたんです。それでストロボを使って…。なので当時の写真を見るとそういう写真が多いですね。
Q.その頃はハードコアやヒップホップのアーティストの撮影が多かった時期ですよね。
青木:そうですね。バンドは名古屋のSTRONG STYLE、DIEDRO LOS DIABLOS、岐阜のBLOODSHOT、STILL YOU ALIVE、STAB 4 REASON、大阪のSAND、EDGE OF SPIRIT、東京のNUMBなどとその周辺のバンド達をよく撮ってました。上げだしたらキリがないです(笑)。ヒップホップだと名古屋のアンダーグラウンドとの交流も昔からあって、TYRANTを中心にRC SLUM RECORDINGDの奴らや、最近でこそ有名だけど呂布カルマとかも撮ってましたね。ちなみに僕が初めて仕事として写真を撮ったのはTYRANTなんですよ。それが8年くらい前だと思います。
Q.その後、ハードコアやヒップホップのシーンと同時進行で様々なジャンル、シーンでの
撮影が増えていきましたよね。転機となったのはいつ頃なんでしょうか?
青木:それこそ2YOU MAGAZINEの柴山さんに出会ったのが転機ですよ。これ、読んだ人がどう思うか分からないけど、音楽のシーンって哀しいけど消えていってしまうことがあるんですよ。僕らが関わっているアーティストがいつまでもライブをやっているかっていったらそうじゃなくて。周りのバンドも含めて全部無くなってしまうことがある。そうなったときに一緒にいなくなるカメラマンや裏方も多いんですよね。当時、僕がいたハードコアのシーンもライブイベントが少しづつ減っていた時期で、この先ライブ写真を撮り続ける場所が無くなってしまうんじゃないかっていう不安もあったんです。そんなときに柴山さんがこれまで撮ったことのないようなシーンのバンドを撮ってみないかって声をかけてくれて。それが2012年のSONSET STRIPでのSEBASTAN Xのライブだったんです。
Q.それまでと違うシーンで撮影して何を感じました?
青木:それまではライブを撮影するときって最前でモッシュしたり頭を振りながら撮ってたんですよ(笑)。でもSEBASTIAN Xの撮影で暴れながら撮る訳にはいかないだろうし、ストロボも焚けないだろうから実は不安だったんですよ。でも実際に撮影してみたらSEBASTIAN Xのマインドがめちゃくちゃパンクだったんですよね。それで僕の中の価値観というか、思い込んでいたものが全部崩れた気がしたんです。ポップなバンドでもパンクな人達はいるんだなって。あの日から幅も拡がったしライブカメラマンとしての人生が始まった気がします。っていうか、ライブカメラマンっていう職業や肩書きがあることを知ったのがそれくらいかな(笑)。
Q.今のようなカメラマン同士の繋がりもあまりなかったのですか?
青木:当時僕がちゃんと認識してたのは菊池茂夫さんと久保憲司さんぐらいでしたし、自分以外のカメラマンには興味もなかったので(笑)。それでライブカメラマンという存在を意識するようになって色んなカメラマンの写真を観たんですけど正直どれも良くないんですよ。「凄いな」って思う写真が圧倒的に少なかった。そんな写真しか撮れないくせにライブカメラマンとか名乗ってる奴らがいて評価されていることに嫌悪感を覚えまして。だったら僕が全員倒してやろうって。昔の話ですよ(笑)。
Q.ライブカメラマンのシーンにぶっこみをかけたと。
青木:そうですね。僕って昔も今も他のカメラマンを意識したことがないんですよ。写真を撮るときに意識するのって常に自分で。今も過去の自分の写真と戦っています。やっぱり他のカメラマンの写真を観て「やられた!」って感じることが殆どないから自分との戦いになるし過去の自分を超えられないようではダメだと思っているんで。「写殺」って言い出す前に「年間何本撮るか」みたいなことをしたことがあったんですけど、繋がりだけで年間170本、200アーティストを撮ったんです。殆ど無償だったので仕事にもなってないんですけど、仕事にもならない撮影を年間170本やってたあの頃が本当に良い経験にもなったなと。365日、ライブと写真のことを考えていましたから。
Q.それが2013年くらいですよね。その頃から写真が今のようなスタイルに変わった気がし
ます。独自のレタッチというか。
青木:うん。僕はストリートカルチャーで育ったので、スタイルウォーズっていう考え方がずっとあって。そういう意味でも誰もやっていないスタイルを提示したくて。例えばスケーターだったら誰もやっていない技や誰も滑っていない場所で誰もしてないファッションでやるのがかっこいいと思うんですよね。それは写真も一緒で、何かを表現するときに人がやってないことをしたいって意識が僕は凄くある。それは僕がハードコアやヒップホップを撮っていた光を使った写真の頃から意識していて。その後、撮る環境が変わってストロボが焚けなくなったので新しい自分の色を出さないとなって思ったときに、それまでライブを観ていた時に浮かんでいたイメージと違うものが出てきて、それを表現しようとしたのが今のスタイルに繋がったんだと思います。
Q.誰もやっていない表現方法を求めた結果、今やそのスタイルに影響を受けた多くのフォ
ロワーが生まれていますよね。
青木:それはバンドと一緒なんじゃないですか?THE BLUE HEARTSやHi-STANDARDが生まれて世の中に衝撃を与えるとその後にはフォロワーが生まれるじゃないですか。だから芸術も一緒だと思いますよ。この数年、SNSの発達もあってライブ写真を目にする機会が増えたじゃないですか。だからライブカメラマンに憧れてカメラを始める人も昔より増えたと思うんですよね。そういう人達が誰かの後を追うのは仕方ないのかなって。仕方ないんですけど、ただ僕は表現者としてそういう人には全く興味がない。誰かのフォロワーとか、誰々っぽいとか、そういう写真を撮ってる人には全く興味が沸かないし自分らしさのないカメラマンは生き残れないんじゃないですかね。逆に「青木カズロー?知らねえし」「橋本塁?興味ねえし」って世代のカメラマンが出てきたらまた新しい表現が生まれるんじゃないですか?それは凄く楽しみですけどね。
Q.「写殺」という言葉が生まれたのは?
青木:4年くらい前ですかね。年間170本とかライブを撮っているとその環境に慣れてしまうんですよね。そうなったことで写真を撮ることに対する新鮮味や真剣さや純度が段々落ちていく感じがしたんです。僕、こう見えて甘えん坊なのですぐ甘えちゃうんですよね(笑)。それで「観た人が殺られたって思うような写真を撮れているか」「お前はそんな写真を撮る為にそこに立っているんじゃないか」って気持ちを忘れないために「写殺」って言い出したんです。
Q.自分を戒めるための言葉だと。
青木:そう。自戒の言葉でしかないです。
Q.その言葉が今やカメラマン青木カズローの代名詞にもなっている訳ですが、写真のスタイルやカズロー君のキャラクターとも凄くリンクしていますよね。
青木:みんなが思っている以上に重たいですけどね(笑)。「写殺」を背負っている以上、しょぼい写真なんて撮れないですから。ましてやTシャツまで出しちゃって。それで写真が駄目だったら本当に駄目だから。でも僕はもうこの言葉から逃れられないので(笑)。
Q.「写殺」の二文字を背負った頃から活動のフィールドが更に広がったイメージもありま
す。
青木:確かに。でも全部が自然なことだと思っていて。別に広い場所で有名なバンドを撮りたいって意識があった訳じゃなくて、かっこいいと思うバンドを撮りたいってだけなんですよね。そういう感覚で生きていたら、たまたま大きなステージでやっているバンドと知り合ったりして、かっけぇじゃん!ってなることが多いっていう。ミーハーなんですね(笑)。
Q.全国各地の大型フェスの撮影、最近ではONE OK ROCKのツアーにも帯同していたりするじゃないですか。でも地元のバンドの撮影もがんがんやる。フェスの翌日に地元の小さ
なライブハウスで撮影していたりしますもんね。
青木:あれ、撮影の感覚が全然違うから大変なんですよ(笑)。でもそういうのが楽しいんですよね。だから「もう頼めなくなった」とか「忙しいんでしょ?」って言われると凄く寂しい気持ちになる。僕はずっとステージの上の人に対する憧れがありますから。それは年下でも売れてなくても関係ない。知名度とか俺は知らないから。ワンオクのツアーが終わった頃に昔から撮ってる名古屋のバンドマンに「応援してます」って言われて哀しい気持ちになりましたからね。バンドマンが勝手にそういうモードになってるのは寂しいですよ。でもそういうバンドも僕が変わらなければまたいつか撮れる機会もあるだろうなって思っています。だからみんな辞めないで欲しい。最近、リンキン・パークのチェスター・ベニントンが亡くなったじゃないですか。撮ったことのないバンドを撮ることは僕の原動力の一つだと思うのでリンキン・パークだっていつか撮れたいかもしれないと思うと、その可能性が絶たれるのは本当に残念。誰も死なないで欲しいし音楽を辞めないで欲しいですね。じゃないと僕が存在する意味がなくなります。
Q.カメラマン含め裏方の人間はステージに立つ人がいるから成り立っていますからね。そこに対する憧れや敬意はありますよね。
青木:そうなんですよ。それはめちゃくちゃ思ってますね。バンドに対する愛があるかどうかは写真にも出ますし。
Q.はい。カズロー君の写真からは愛が溢れまくってますよ。バックヤードでも(笑)。
青木:あははは。愛が溢れちゃうんですよね(笑)。
Q.では最後に今カズロー君がライブカメラマンとして思っていることがあれば訊かせて下
さい。
青木:今から話すことを良く思わない人もいると思うけど、ライブカメラマンの仕事って必ずしもお金が全てじゃないと思っていて。勿論お金になればベストなんですけど、お金を貰わなくてもやりたい現場ってあるんですよね。実際僕も始めて3年間は一切貰わなかったし。それを馬鹿にするカメラマンもいたし、お金を貰っていなければプロじゃないって言われることもあったんですけど、正しい気持ちさえ持って撮っていればお金を貰わないからって馬鹿にされることないんじゃないかなって思っていて。まあ正直自分がアマチュアの頃、プロが金貰ってその程度の写真しか撮れないなら僕は金を貰わずにもっと良い写真を撮ってやろうと思っていたので。というより良い写真を撮っていれば必ずお金に繋がってくると思うし、僕らがそこはしっかりやっていくから。若い始めたての子達にはそこはあまり気にせずとにかく良いカメラマンになる事に専念して欲しいです。僕自身はその感覚(愛)を持ったまま、自分の世界を広げていきたいですね。HUCK FINNから世界の舞台へ。広ければ広いほど、狭ければ狭いほど興奮するタイプなので。これからも両極端に広げていこうと思っています。