2009年3月に名古屋にて設立されたRAD CREATIONが10周年を迎える。元々ライブハウスで働いていた綿谷氏、長尾氏がふたりで独立し音楽レーベルTRUST RECORDSをメイン業務に始めた同社はその後、ライブハウスR.A.Dを栄にてオープン。その後はレーベル、ライブハウスの2本の柱を武器にサーキットイベントやフェスを主催しながら店舗を拡大し続け、現在はR.A.D、RADHALL、TOYS、Party’z、RAD SEVENといった5店のライブハウス、FREEDOM NAGOYA、SOUND GARDEN、DElicious BUns FESTIVAL、でらロックフェスティバル、でらノメサーキット、NAGOYA NEW WAVE FESTA、TOKYO CALLINGなどのフェスやサーキットイベントの開催、FM愛知にてラジオ番組RAD ROCK RADIO、BAR DUDE、BAR DERPの飲食展開、さらにTRUST RECORDS、TONIGHT RECORDS、BUNS RECORDSの運営を行う巨大エンターテインメント企業となっている。そんなRAD CREATIONの中心人物である綿谷剛、長尾健太郎、長崎慎、橋本拓実の4人に10周年を記念して当時を振り返りながら話を訊いた。RAD CREATION、10周年おめでとう!
Q.10年おめでとうございます。
綿谷:ありがとうございます!本当にあっという間の10年でした。最初は長尾くんと始めた会社も気付いたら沢山の社員や仲間が増えて本当に有難いですね。
長尾:最初はふたりでしたもんね。
Q.綿谷さんと長尾さんはRAD CREATIONの設立前には上前津ZIONで働いていましたよね。
綿谷:そうですね。前の会社で働いているときに何時のタイミングだったかは覚えていないんですけど長尾くんに「いつか独立したいからお金を貯めておいて」って言ったのは覚えてます(笑)。
長尾:あははは。言われた(笑)。「独立するから金貯めろ」って。
Q.ZIONではどのような仕事を任せられていたのですか?
綿谷:最初はブッキングや店長代理的な仕事をしていました。それと並行して会社の中でレーベルを始めさせてもらったんですけど、かなり好き勝手やらせてもらっていて。それもあって会社からはあまり評価されてなかった(笑)。それでブッキングを出来る人を入れようと思って長尾くんに声を掛けたんです。長尾くんは真面目だから滅茶苦茶ブッキングを頑張ってくれて。「長尾の方が綿谷より凄い」って言われてました(笑)。「綿谷は自分の好きな事ばかりして他の仕事をちゃんとしないから駄目だ」って。(一同笑)
Q.独立を考えたのは?
綿谷:レーベルが忙しくなってきた頃ですね。前述の通り好きな事しかどうしても出来なかったので、長尾くんを巻き込んでふたりで独立しようって。
Q.最初はレーベルとして独立したんですよね。
綿谷:はい。その頃はライブハウスをやるなんて考えてもいなかったです。それで2009年の3月に会社を作ったんですけど、最初は長尾くんが当時住んでいたマンションを事務所にして毎日行って仕事していました。でも実際集まってもやることなんて何もないんですよ(笑)。
長崎:そんな時期があったんだ。
綿谷:全然あったよ。とりあえずパソコンを開くけど何もやることがないっていう。
長崎:それ、友達の家に遊びに行ってるだけじゃないですか(笑)。
綿谷:本当そうだよね(笑)。CDのリリースだって今みたいに沢山ある訳じゃないし。
Q.当時、レーベルには誰が所属していたんですか?
綿谷:ARU、EDDY、RADICAL ARTSの3バンドですね。でも独立したといってもとくにやることがなくて。
長尾:その頃、僕はZIONで企画を続けていて。その上がりを会社に入れてたんです。でもやっぱり自分達でライブハウスをやりたくなって、2009年の7月がZIONの周年だったのでそこまではZIONでイベントをやらせて頂いて、8月にライブハウスを作ることにしたんです。
Q.独立して4カ月でライブハウスを作ったと。
綿谷:その前に7月にプレオープンしていますね。
長崎:そのプレオープンの日に当時僕がやっていたバンドで出てるんですよ。その日、オープン初日にも関わらずライブ中にゴキブリが出て(笑)。
長尾:めっちゃ掃除したんだけどね(笑)。
Q.綿谷さんも長尾さんもライブハウスの運営に関するノウハウはあったと思いますがゼロから作るのはまた別ですよね。
長尾:何も分からなかったですね(笑)。
綿谷:機材をどうしたらいいかとか内装はどうしたらいいかとか、全く無知だったので。それで古巣のZIONが何でもDIYで作れる人達でしたし恩返しの気持ちも込めてZIONにお願いして作って頂きました。
Q.その頃は長崎さんと橋本さんはおふたりとの付き合いはあったんですか?
橋本:僕は全然です。ただの学生でした。
長崎:僕はほどよく付き合いがあるくらいの感じでしたね。当時僕は今池HUCK FINNで活動することが多かったんですけど、長尾さんに誘われてZIONでやるようになったんです。でもすぐに独立するって言われて「R.A.Dを作るから出て」と言われてプレオープンの企画に出たことから全てが始まりました(笑)。
Q.入社したのはいつ頃ですか?
長崎:そこから3年後ですね。大学を卒業してRAD CREATIONに入社しました。拓実も同期ですね。
橋本:僕もほぼ一緒の時期に入っています。でも僕はバンドをやっていた訳でもないし繋がりがあった訳でもなくて。就職活動が面倒臭かったのとやりたいことが定まっていなくて、そのとき通っていた学校の先生に相談したらその先生から人を経由して綿谷さんに辿り着いたんです。
Q.学校の先生から綿谷さんに辿り着くのが凄いですね。
綿谷:やばい。なにもないですよ(笑)。
長崎:あははは。怪しい(笑)。
Q.ふたりが入社した頃には会社の状況も変わっていたと思うのですがFREEDOM NAGOYAが始まったのはその前くらいですか?
綿谷:会社を作って2年目なのでまだふたりはいなかったですね。まこっちゃん(長崎)には手伝ってもらいましたけど。初年度のFREEDOMは完全に勢いで始めたので何もかもが手探りでした。めちゃくちゃ楽しかったけど何も分かっていないので今思うと恐ろしくなることばかりで。
長尾:ろくに準備期間も無かったですしね。
綿谷:ステージに機材を乗せて音が出たらOKくらいの感じだったから。
長崎:僕は夜中から朝まで警備をしたんですけど、当時BACK LIFTのギターだったヤキトリさんと僕のふたりですからね。
長尾:ふたりってやばいね。
長崎:必死にパンフレットを2千枚折ったり(笑)。それでそのまま朝からライブが始まってやったこともないステージスタッフをするという(笑)。ただ本当に楽しかったです。
綿谷:自分達の世代で何か面白いことがしたかったんです。いつもR.A.Dに出てくれているバンドでお祭りをしたかった。本当にそれだけで始めたのがFREEDOM NAGOYAだったので。
Q.それから年々規模が拡大してFREEDOMは今や名古屋を代表する大型フェスとなった訳ですが、FREEDOMの拡大とRAD CREATIONの成長はリンクしている気がします。3、4年目くらいの頃は会社としてはどんな時期でした?
綿谷:まずレーベルのバンドが入れ替わりましたね。
長尾:「名古屋ど真ん中計画」というイベントを始めたのもその頃だと思います。
長崎:1回目の「名古屋ど真ん中計画」の頃はまだ僕は会社にいないので2011年に始まったんだと思いますね。
Q.「名古屋ど真ん中計画」は04 Limited Sazabys、BACK LIFTS、PipeCut Wedding、SpecialThanks、THIS MORNING DAY、THREE LIGHTS DOWN KINGSの6バンドで始まった企画ですが最終的にはダイアモンドホールを埋めるまで大きくなりました。今バンド名を連ねてみて気付いたのですが、全バンドレーベルが違うのが面白いですね。
綿谷:TRUST RECORDSはBACK LIFT(当時)だけですからね。THREE LIGHTS DOWN KINGSはまだCDリリース前だったし。
長尾:THIS MORNING DAYはZESTONE 、SpecialThanksはKOGA、PipeCut WeddingはTHE NINTH APOLLO、04 Limited Sazabysは当時LD&Kだったし。確かにみんなバラバラですね。
長崎:東名阪ツアーとかもやってましたよね。
綿谷:やったね。その後、フォーリミ、サンエル、バックリの3バンドになって、ダイアモンドホールまでいけたのは本当に嬉しかった。3バンドのアー写の撮影を2YOU MAGAZINEの柴山さんの家で撮りましたね。(笑)
Q.狭いマンションに3バンド全員が朝早くから来て(笑)。その頃は長崎さんも橋本さんも働いていたと思うのですが、かなりの多忙を極めていたのではないですか。
橋本:地獄のような毎日でした。新しいこともどんどん始まるし。
綿谷:Party’zを始めたのもこの頃だしね。
長崎:最初はランチ影響もしてましたからね。
長尾:忘れてた。ランチ、やってたね(笑)。
Q.最初はライブもやれるハンバーガー屋さんっていうイメージでした。
橋本:「朝11時に毎日来て」って言われて、よく分かってなかったから「ライブハウスの仕事ってそんなに朝早いんだ」って思ってお店に行ったらハンバーガーの仕込みをさせられて。
長崎:金曜と土曜は深夜3時までやってたしね。場所柄、結構お客さんも来てくれるし。みんなでひたすらパティをこねながら「音楽の仕事をするつもりだったのに」って(笑)。
橋本:電話注文も受けてましたからね。
長尾:デリバリーやってたね。ハンバーガーのチラシをポスティングとかして。
長崎:もうそこまでいくとただの飲食店だから(笑)。
Q.女子会も結構やっていませんでしたっけ?
長崎:女子会は今もやってます。街コンの主催の方と繋がって、飲み会をやってもらうっていう。
Q.TRUST RECORDSも「名古屋ど真ん中計画」が始まって流れが変わりましたよね。
綿谷:正直、もうレーベルは駄目かなって思った時期もありました。ARUやJANGA69が解散して、RADICAL ARTSとEDDYが移籍して、それでもBACK LIFTが残ってくれて一緒に踏ん張ってくれたから続けられたと思っています。そこからEVERLONGやENTHやTHREE LIGHTS DOWN KINGSが入ってきて立て直すことが出来た感じです。
Q.その時期に長尾さんも自身のバンドであるTHIS MORNING DAYの専用レーベルとしてTONIGHT RECORDSを設立していますが。
長尾:最初はZESTONE RECORDSにお世話になっていたんですけど自社でやっちゃおうと思いまして。それで綿谷さんに教えてもらいながら初めたんですけどTHIS MORNING DAYが解散して、その延長でALL FOUND BRIGHT LIGHTSをリリースする流れになっていくという。それからはかっこいいバンドと出会ったらリリースしていますね。
Q.長崎さんもRAD CREATIONに所属しながら個人でBUNS RECORDSを立ち上げて。
長崎:ライブハウスにいると色んなバンドに出会うんですよ。それで色んな相談を受けるようになってTHE SWiTCHERS のショーイチとふたりで始めたのがBUNS RECORDSで。立ち上げた頃は個人レーベルとしてやっていたんですけど、オムニバスとスプリットをリリースしてみてCDを出すお金の流れや仕組みを知ってちゃんとバンドをリリースするには自分個人じゃ無理だなって思うようになって。それでSUNsをリリースするタイミングで綿谷さんに相談してRAD CREATION内でやらせてもらえないかお願いしたんです。
Q.結果、RAD CREATIONにいくつかのレーベルが在るのは面白いですよね。カラーも違うし、だけど似ている部分もあって。お互い切磋琢磨している姿もRAD CREATIONを面白くする要因だなって思っています。
長崎:僕はLUCCIとして所属しているのでよく分かるんですけど、TRUSTって本当に家族みたいなんですよ。凄く良いチームだし、若くて生意気な奴もいるんですけど、そいつらもレーベルツアーの初日とかは捻くれて「いきなり家族って言われても」みたいな感じでいるのに最終日には「TRUSTは家族です!」って言ってるっていう(笑)。そういう空気を作るのがTRUSTは本当に上手いんですよね。
長尾:レーベルカラーみたいなものは自然と3人とも違っていて、僕は繊細な音楽が好きなのでそういうバンドをリリースしていきたいと思っています。TRUSTに関しては綿谷さんの選球眼が凄いので良いバンドを見つけるなって思っています。僕がキッズだった頃も綿谷さんのイベントにめちゃくちゃ遊びに行ってたんですよ。その頃から良いバンドを見つける天才だと思っていたので。流石だなと。
綿谷:でも僕が出来ないことをしているのが長尾くんなんですよ。TONIGHT RECORDSがRAD CREATION内に在ることは会社の幅を広げてくれると思っているしTRUSTとは違うカラーを持ち込んでくれるので有難いですね。BUNSに関しては人情が厚いバンドが多いというか、レーベルとバンドの結びつきがそれこそ家族みたいなんですよね。そこが見ていて刺激になります。TRUSTは今はバンドを発掘、育成することが目的かもしれないです。競い合って切磋琢磨してバチバチな関係でいられるレーベルでありたいですね。
Q.そこに橋本さんがアイドルというまた違う角度からRAD CREATIONを盛り上げていて。綿谷:それも面白いですよね。アイドルシーンがこれだけ盛り上がっている中で会社内にそういうセクションがあるのは凄く面白いことだと思います。
橋本:僕もアイドルに詳しかった訳じゃないし今でも詳しくないんですよ。RAD HALLが出来て、たまたま土地柄アイドルが集まっただけというか。そこで色んな人に出会って、みんな変な人ばっかりだけど、知り合いがどんどん増えていって今に至っているだけなので。
長崎:なんか尖ってない?(一同笑)
Q.RAD HALLもTOYSも今やアイドルの聖地になっていますが最初にアイドルと仕事したのはいつ頃ですか?
綿谷:2013年のFREEDOM NAGOYAですね。最初はBiSでした。
橋本:その次がアップアップガールズ(仮)ですよね。
綿谷:2015年のFREEDOMではIDOL BURNING STAGEというステージを作って沢山出てもらうようになって。
Q.2016年の面子は今思うと物凄いですよね。
橋本:今やみんな武道館クラスですからね。BiSHもいるしまねきケチャもいるし。でもこの日がとにかくカオスで翌年からアイドルステージが無くなるんですけど(笑)。
長崎:とにかくキャパオーバーでしたね。基本的に僕が入った頃からずっとキャパオーバーですけど(笑)。それでも突き進んで無理でも勢いでやっちゃうのがRAD CREATIONなんですけど。勿論ポジティブな意味で。まあ、中にいる僕らは死にそうですけどね(笑)。
Q.そうやってみなさんが闘ってきた結果、RAD CREATIONは精鋭揃いの会社になりましたよね。全員が頭角を現してきているなって。
綿谷:みんなそれぞれが自分の城を会社内に作っていますからね。それは僕からしたら凄く嬉しいことですし。長尾くんもまこっちゃんも自分のフェスもやっているし、好きなことをどんどんやって欲しいですね。
橋本:まだ何かやるんですか(笑)。
長崎:僕はレーベル、ライブハウス、イベント、フェス、サーキットを基軸にやっているんですけど、まずは今やっていることを突き詰めたいですね。
長尾:僕もそうですね。部署がどんどん増えていくので事務もヤバイし(笑)。あとはレーベルから新しいバンドも出したいし、RAD SEVENで新しいギターロックシーンを作り上げたいと思っているのでそこも仕掛けたいです。
Q.橋本さんは先日RAD LIVE株式会社の代表取締役社長に就任されましたが。
綿谷:RAD HALLでアイドルをやりだして、イベントも沢山やっていく中で成功を収めてきて本人的にも独立してチャレンジしたいという意思があったようで。そのタイミングで僕もライブ制作や運営の別会社を作ろうと思っていたので、その会社の社長になってもらうことにしたんです。そういう独立支援のようなことにも力を入れていきたいと思っているので、社員がそれぞれの世界を作って、それが集まってもっともっと大きくしていきたいと思っています。
Q.橋本さんは新会社で何をしていきたいですか?
橋本:何をやっていきたいというか、今やってることをやっていきたいです。名古屋はアイドルイベントを主催する人が誰もいないんですよ。勿論、運営さんが自社のアイドルでやるイベントは沢山あるんですけど、アイドル企画をちゃんとやれる若い人が誰もいない。だったら僕がやろうかなって。自社の箱だけじゃなくて色んなところでやっていきたいと思っていますね。
Q.名古屋においてこれだけサーキットイベントを定着させた功績も大きいですよね。
綿谷:ぶっちゃけると先に名古屋でサーキットイベントという物を確立されていたSAKAE SP-RINGとSSMCを混ぜたような、メジャーもインディーズもアマチュアもジャンルも関係無く色んなアーティストに出会える新しいサーキットイベントをやりたかったんですよね。それで2011年に始めたのがGRANDLINEでした。
長尾:その後、GRANDLINEから2016年に名前をでらロックフェスティバルに移行していって。
Q.今年のでらロックではクラブシーンも絡んでいましたよね。
綿谷:最近はENTHの繋がりでクラブシーンとの付き合いも増えて。ENTHがそういう友達が多いんですよ。それで初めて会場にLive & Lounge Vioを使ってDJやラッパーにも出てもらいました。ロックもパンクもアイドルもヒップホップも様々なカルチャーが交われる場所を作っていきたいですね。勿論いきなり結果が出せるとは思っていないですけどまずなんでもやってみようって気持ちが大事だと思っているので。
Q.そういうトライ&エラーを繰り返しながら成長してきたのがRAD CREATIONですよね。
長崎:首に入れ墨を入れるのもやってみようって思ったんですか?
綿谷:いや、首に入れ墨があるだけで僕って分かるかなって。髪型を変えたりファッションを変えると誰か分からなくなるけど、首に入れ墨があれば分かるかなって。
長崎:発想がぶっ飛んでる(笑)。
Q.でも生涯RAD CREATIONをやっていく覚悟の現れでもありますよね。
綿谷:はい。独立したときに入れましたし。
長尾:拓実も入れたら?
橋本:全然興味ないですね。僕は興味がないことには全く興味がないので。
長崎:なんか拓実、インタビューになるとオラつくね(笑)。普段は良い奴なのに(笑)。
綿谷:でもこれくらい尖ってないとアイドル現場ではやっていけないかもよ。
Q.確かにそうかもしれませんね。こうやって振り返るとふたりでマンションの一室から始めたRAD CREATIONがどんどん大きくなって色んな音楽が交差する場になっていることにグッときてしまいます。みなさん10年やってきて今感じることはありますか?
橋本:僕はまだ7年なんで。
長崎:屁理屈だなあ(笑)まさかこいつ(橋本)が7年続くなんて思ってなかったわ(笑)。綿谷:ふたりとも長くなったね。それまではKo-ichi(ex.THREE LIGHTS DOWN KINGS)の3年と、だいぽん(ENTH)の5年だったけど、ふたりとも超えたね。
Q.バンドマンも沢山働いてきましたよね。
綿谷:04 Limited Sazabysのリュータがブッキングをしてた時期もあるし。
長崎:あと長尾さんも僕もだし、今はSideChestの戸田とTHE NIGHT HILLSの高山も働いていますね。
Q.バンドマンがスタッフにいるとツアー先で出会ったバンドを自分のライブハウスに呼べるのが良いですよね。関係性も深まりますし。
綿谷:そうなんですよ。だからバンドマンはもっとうちで働けばいいのになって思います。バンドで食って行きたいって夢がある人はバンドが忙しくなったら卒業させたいと思ってます。メジャーデビュータイミングで卒業したKo-ichi(ex.THREE LIGHTS DOWN KINGS)もそうだしENTHのだいぽんとかそうですからね。ここで働けば自分のバンドに返ってくるものって凄く大きいと思うんですよね。なんで働かないんだろう。
長尾:それはここで厳しいとこを見てるからじゃないかな(笑)。仕事量が多いのも知ってるだろおうし。
長崎:ライブハウス以外の仕事もめちゃくちゃありますからね。
Q.ハンバーガーを作るとか。
長崎:ちょっと(笑)。
Q.最近、名古屋と大阪にBARもオープンしましたしね。
長崎:もう何が起きても焦らない(笑)。
綿谷:今までは自分がやりたいと思ったことを、誰かに任せたり、協力してもらって形にしてきたんですけど、今は少し違って何かやりたいことがある人がいたらその人と一緒にやりたいんですよ。さっきの独立支援の話もそれで。それでPOTのYOPPYに大阪のDUDE、ALL FOUND BRIGHT LIGHTSのTAKUYAに名古屋のDERPというBARを一緒に作る事にしたんです。
Q.R.A.Dの上の階にレコード屋、下の階にスタジオがあった時期もありましたよね。
長尾:ありましたね。あとは県外だと岐阜でRAD RIVER、京都でRADminiもやっていました。
橋本:Party’zでフード出店をしてた時期がありましたよね。前日にパティを500枚仕込むっていう(笑)。
長尾:経てきたなあ、RAD CREATION(笑)。
Q.凄いですね。何かやってみたいことがある人はRAD CREATIONの扉を開いてみたら何か生まれる可能性もあるかもしれないですね。
綿谷:何か面白いことが生まれるならいつでも大歓迎なので。社員やバンドマンの夢を叶える手伝いが出来る、そんな会社で有り続けたいと思っています。この記事をキッカケにまた良い巡り会いがあるのを願っています。
RAD CREATION
綿谷剛
RAD CREATION株式会社 代表取締役
RAD ENTERTAINMENT株式会社 代表取締役
TRUST RECORDS (Producer)
FREEDOM NAGOYA (実行委員長)
TOKYO CALLING (主催)
長尾健太郎
RAD CREATION株式会社 専務取締役
RAD ENTERTAINMENT株式会社 専務取締役
TONIGHT RECORDS (制作)
RAD SEVEN (制作)
でらロックフェスティバル (制作)
GOLD RUSH (主催)
でらノメサーキット(主催)
SOUND GARDEN (実行委員長)
橋本拓実
RAD LIVE株式会社 代表取締役
RAD HALL / TOYS (運営統括)
NAGOYA NEW WAVE FESTA (主催)
長崎慎
LUCCI/Dr
R.A.D/Party’z (店長)
BUNS RECORDS (A&R)
DElicous BUns FESTIVAL a.k.a DE.BU FES (実行委員長)